Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
お互いが大学を卒業した頃くらいだったか、 高校の時からの友達が一枚の紙をくれた。 びりっとノートを切り取っただけのその紙切れには バッハへの想いが綴られている。 バッハが彼女にとって特別な作曲家であること。 そしてその理由。 「誰でもその心の中にふるさとのような場所をもっていて バッハの音楽は その心の奥のふるさとへ いとも簡単に連れていってくれるのです。 どんなに心がつかれていて、みえなくなっていても バッハの音楽は 遠くにある大切なものと共鳴し その居場所を確かめさせてくれるのです。」 春はどうも落ち着かなくて、心がざわついて 夕暮れ時になると、助けを求めるかのように バッハの無伴奏バイオリンソナタとパルティータばかり聴いている。 バッハの旋律は心の波を鎮めてなんてくれない。 むしろ、ざわざわの根本のところを 容赦なく揺すぶってきさえする。 あまりに深く切りこんでくるものだから 疼きを覆うこともできず ただもう、その旋律にさらされているうちに 疼きさえもが、 いつしか慰みとなっていたりする。
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憧れていたブルーウィロウ。 食事用のお皿などは 結婚の際に、Stoke-on-Trentのファクトリーショップで揃えた。 カップ&ソーサーばかりは、一目惚れしたWedgwood社のEtruriaを まずは一客、Salisburyのアンティークショップで。 残りは、約10年後に日本で出会いがあった。 ほんのりクリーム色の地に、クラシカルなブルーのウィロウパターン。 カップとハンドルの、ほどよい丸みは お茶、そしてその周辺にある和やかな空気感を まるごと形にしたよう。 さすが、ミルクティーの国のデザインだと、使う度に嬉しくなる。 そんな我が家の中心にあるウィロウに 時折、新しい色を添えてくれるのが デンマークはLingby Porcelain社のtangentシリーズ。 白地に紺色の鍵盤模様(tangent)が美しいヴィンテージだ。 デザインに惹かれて、まずポットを購入したのはいつだったか、 次には、ミルクピッチャーが いつのまにかカップ&ソーサーがテーブルにのるようになっていった。 とりわけ、カップ&ソーサーは デミタスでは小さすぎ、マグカップでは大きすぎる わがままな朝のコーヒーに、もはや欠かせない。 ハンドルを持った時、カップを唇をあてた時 飲み物が口に入ってくる時、 どこにも余分な力やストレスがかからず さすが、機能性とデザインの両立が謳われる北欧デザインだと 使う度に納得する。 休日の朝食はテーブルクロスを広げることが多い。 ギンガムチェック、ブルーウィロウ、それからタンゲント。 みんなちがって、みんないい。 それぞれが、朝のテーブルに、明るいリズムを刻んでくれる。 今日はチーズたっぷりのマフィンを焼いて。 (2013.4.13) |
動物園の中にある、 懐かしい風情の遊園地。 満開の桜の中を、 ぴったり寄り添った姉と弟が通り過ぎていく。 のどかな乗り物に乗って。 私達の目の前に巡り来るたび、 二人揃って手を振って あっという間に、去って行く。 再び、大きな笑顔が通り過ぎれば あとは、花びらだけが風に舞い。 その幸福な光景を 思い出す度に、 でも、それはまぼろしだったような気さえして、 ぼんやりと生地を泡立てすぎてしまう。 短い春休みも、もう終わり。 (2013.4.05) |
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