冬時間
ワレモコウは秋の花
今年のそれは、
汗をぬぐいつつかけこんだ
本屋での立ち読み中やってきた。
昨年のそれは熱帯夜にやってきて
思わずペンをとってしまったことを思い出す。
そう、秋!
‘朝の食卓に梨や葡萄やいちじくがのり、
紅茶の色が突然きりりと冴え、
空が青く高くなり、空気が澄み
物事が秩序をとりもどす秋’
あまりにも美しい文章なので
何度も目で追っているうちに すっかり諳んじてしまったほどだけれど
ここはほんの序文にすぎず
その文章のタイトルは「秋の花の女」、
秋の花に関する 短いけれどぞくぞくするほど好みの文章だった。
‘秋の花は風をはらむ。すすきも吾亦紅(ワレモコウ)も。
原っぱでぼうぼうと風に揺れているさまは、眺めていて自由な気持ちになる。
からりとかわいた感じがいいのだ。
色味の抜けた、深い美しさ。
枯れていないのに枯れているような風情のところも好きだ。
それもやっぱり自由な気持ちになる。あれは何だろう。
心を解き放った人の自由さ。
透徹した心と裸の目、旅人のような気儘さと、つねにそこにある孤独。
秋の花のような女になりたい、と思う。
だいたい、だだっ広いところに咲いていることの心もとなさにぐっとくる。
丈高く、細いけれど強く、気丈に。’
秋がくるのだ。
もうすぐワレモコウに会える!
ワレモコウは とても好きな花だ。
私自身は 花にそれほど興味がある方だとは言えないので
それを思うだけでときめいてしまう、ほどの花は
正直に言って数えるほどしかない。
そして そのほとんどが秋の花。
いったいそれは 私が色に溢れているものが苦手なだけで
もちろん花のせいでは全くないのだけれど
昔、学校だか子供会だかで作った花壇は
賑々しすぎる色味とレイアウトで子供心に心底憂鬱だったし
イギリスの田舎家の庭でそよぐ花々は 可憐だとは思ったけれど
それでも ガーデニング王国のあの国の中で一番魅力的だったのは
薄いのや濃いの、といった緑だけの植物でつくられた
ロンドンという大都会の一角にみた小さな庭だった。
色とりどり、というのが どこか落ち着かない性分なのだろう。
だからして 秋の花の控えめな枯れ色や鈍色には
それこそ ぐっとくるし、
鮮やかな色やロマンチックな香りではなく、
シンプルで無駄がない線になぞられて
そのたたずまいだけで まわりの空気にそっと風を送り込める秋の花が
要するに 私はとても好きなのだ。
自由になれる、というのもよく分かる。
小学生の頃、「ひまわりのように!」というスローガンが
教室に貼られたことがあった。
ひまわりはいつもお日さまの方を向いている
前向きで明るい花だから、というのが先生の弁。
まだ2年生だったから 先生の言うことは正しいと思いこんでしまったのも
仕方なかったかもしれない。
春よりは秋に、お日さまよりはお月さまに、
そして 校庭で活き活きと咲くひまわりの元気な黄色よりも
クラスの子が新聞紙にくるんで持ってくる
桔梗やホタルブクロのひっそりとした薄紫に心惹かれてしまうような自分に
どことなくうしろめたさのようなものを感じずにはいられなかった。
年を重ね、自分や回りが見えてきて、
前向きで明るいこと、が私にとってはさほど意味を持たないことを
きちんと認めてあげられた時、
大人がいつも正しいわけではないということに気が付いた時、
いや そもそもそういう意味での‘正しさ’なんてものは存在しないと分かった時、
うしろめたさから解放されてようやく自由になれた。
空に真っ直ぐ向かっていなくても
それはそれでいいのだという自由さ。
風に身をまかせられる自由さ。
それすなわち 秋の花が好きだと堂々と言える自由さであり
それが私だ、と胸をはれる自由さだ。
売場をしばらく歩いた後、その本をレジへ持ってゆく。
秋にはまず妹の誕生日がやってくる。
そもそもこれは彼女がひいきにしている作家の本なのだ。
帰路にあるコンビニでこっそり「秋の花の女」の章だけコピーをとって
帰宅すると すぐさま妹の留守電にメッセージを入れた。
「新刊買っておいたから 送ってあげるよ」
姉貴風を吹かたのも束の間、
後日、妹から「それはもう買って読んだ」と告げられる私。
唖然として、それから可笑しさがこみ上げて
それでも姉気どりがしたいらしい私は
本をプレゼントするかわりに
妹の誕生会を開くことにした。
誕生日というのはいくつになっても楽しいものだし
これからしばらくは、姉妹二人でゆっくり話をしたり、買い物へ行ったり
美味しいものを食べながらのんびりする時間をとるのが難しいだろう、と考えたからだ。
もっともこのお誕生会の為に わざわざ瀬戸を渡ってやってくるはめになった妹は
内心「やれやれ」と思っているかもしれない。
ワレモコウは私が一番好きな秋の花。
秋の花のような女に 私もまた憧れる。
けれども そんな女に私がなれる日はまだまだ遠いらしい。
*引用文 「泣く大人」江國香織(世界文化社) より
(2001.8.25)