冬時間
豆皿
久しぶりに湯町窯を訪れた。
珈琲茶碗に、豆皿にと
日々愛用しているので
前に来た時には
まだ娘さえ生まれていなかったのかと
横たわる年月がにわかに信じ難い。
私が送った10年という時が
ここでも同じように流れていたのだろうか...
夏草繁る店の庭に立つ。
さて、今回は大皿を購入しようと
予めイメージを固めてきた。
それなのに、もう1時間も
うろうろと店内を彷徨っている。
庭で息子を遊ばせている万蔵氏が
時折、入ってきてはアドバイスをくれる。
ぴったりと私の傍らにはりついていた娘は
そろそろ、気もそぞろ。
ご主人は「暖房ついてるけど」と笑いながら
更なる作品が並ぶ奥の間まで開けてくださった。
いよいよ、娘に息子を託して
夫婦でじっくり話し合うことにした。
器を手に取り、
もう一度、もう一度、と店内を巡る。
そうこうする間にも
硝子戸の向こう、眩しい光の庭に
絶え間なく動き回る息子と
時に彼の手を引き、時に追いかける娘が見えた。
紺色のワンピースが
何度、目の端で翻ったろう。
そしてようやく、一枚が決まった。
新聞紙で大皿を包み終わると、
ご主人は、
これも、と豆皿も袋に入れてくださった。
「これ、お嬢ちゃんに...」
「ずっと おりこうさんにしとったからね」
いただいた豆皿は、
10年前に私が選んだもののひとつと
ほぼ同じデザイン。
あたたかみのある飴色は
遠い夏の陽を溶かしこんだように
とろりと懐かしい。
蝉の声に見送られ 店を後にする。
次に訪れるのはいつになるだろう。
その時には 駆け回る幼い背中や
踊るワンピースの裾を、
飴色の古い記憶として
たぐり寄せたりするのだろうか。
それとも...
庭を振り返ると
年月を遠く隔てて
立ちすくんでいる自分が見えるような気がした。
(2011.8.28)