Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
五月の休日。 ボストンクリームケーキを焼いて ふたたび、DUVOISIN挿絵の絵本をめくる。 黄×黒だけの頁と、 色彩豊かな頁が交互に現れる、心にくい構成。 ”とつぜん 空にとびたつ とりのむれのように、 きょうかいの かねの音が なりひびきます。” この描写を読む度に思い出すのは、 イギリスのBakewellという町で教会の近くを歩いていたときのこと。 突然、鳴りだした鐘の音は たしかに、空に飛び立つ鳥の群れのようであり、 また、天から降ってくるもののようでもあった。 絵本の中の女の子は、 鐘が鳴り終わるまでずっと母親の手を握り じっと耳を澄ましているけれど 私もまた、音が降り止むまで 息をつめ、立ち尽くしたものだった。 さて、連休中、 買い物先で、あるワンピースに目が留まった。 不思議と引きつけられて すぐに試着。 店員さんの言葉に気持ちよく乗って 迷うことなく買ってきたそれは 普段の自分ではあまり選ばないような青色。 夜、ふたたび絵本を開いてふと思うのだった。 もしかすると、 このところ何度もこの挿絵を見ていたから 無意識に青いワンピースに導かれたの知らん!? *「いっぽ にほ」 シャーロット・ゾロトウ 文 ロジャー・デュボアザン 絵 ほしかわ なつこ 訳 (童話館出版) (2018.5.3) 所用があり、以前暮らしていた界隈を歩いた。 同じ学区、徒歩圏内でありながら、 今ではなかなか行く機会がない。 新緑の息吹を感じながら 娘とふたり、風に吹かれる。 小学校に続く細道を歩く。 この辺りは、特に好きだったなあ。 昔ながらの住宅地。 家々それぞれのしつらえと、 垣間見える生活の断片が面白い。 そういえば。 「あの日記、おぼえてる?」 「このあたりだったよね」 ふたり同時に、同じことを思い出していた。 娘が小学校三年生だった頃のこと。 この道沿いを歩きながら、 どんな家で暮らしたいか、よくおしゃべりしたものだった。 彼女は子供ならではの無邪気さで、 自分の夢を語ったし、 私は私で、そろそろ・・・という想いもあった。 当時は、賃貸マンション住まい。 ちょうど息子も生まれたこともあり、 それまで先延ばしにしてきた、自分たちの「住処」というものを しっかり考えたいという想いが芽生えた時期だった。 具体的な形が見えていたわけではない。 でも、細道沿いの家々からは 自分たちが暮らしに望む「なにか」を、直感的に感じていたように思う。 手探りの、その手の先に触れる、心地よい「なにか」。 そんなある日、散歩のことを娘が日記に書いた。 (略) 始めの家にはへんな顔のお面がかざってありました。 ほかにも木がたくさんうえてある家などいっぱいありました。 私もそこにすみたいなと思う家もありました。 それは大きくなくてもいいんです。 ごうかじゃなくても十分です。 私がすみたいと思う家は かぞくみんながあいしている家だったらいいので ただすめる家ではだめなのです。 家に帰ったら、小道にあった家みたいに 「しょうらいすむ家」を絵にかいてみました。 実際に、今の家に出会ったのは それから何年も先。 場所は異なれど、あの頃歩いたような住宅地の端で 暮らしている。 大きくなくて、ごうかじゃないけど(そのとおり) 庭といえる緑地があり(荒れ地ともいう) 思いきり楽器もならせる。 日記や絵のことなど、すっかり忘れていたけれど あの頃の「しょうらいすむ家」に、結構近いのかもしれないね。 そんなこと話しながら家に戻ると、 万蔵氏が、高枝切りハサミを手に庭木と格闘していた。すでに汗だく。 家とその住人、 愛し愛されて生きていくのは、手間ひまかかる。 でも、それが当時、手探りの手の先に感じていた 「なにか」の正体なんじゃないかなあ・・・ そんな気もしている。 * 1900年代半ばくらいのアメリカの絵本が好き。 描かれている暮らしの風景を見るのが好き。 ROGER DUVOISINの挿絵は特に好き。 暮らしそのものの味わいと色彩があって ホームメイドクッキーみたいに、ざっくり、とりどりに楽しい。 「THE HOUSE OF FOUR SEASONS」は、 郊外に古い家を手に入れた家族のお話。 あちらこちらにガタがきているけれど、 みんなでアイデアを出して、 手を入れてみよう。 Wouldn't it be fun to do it ourselves? ・THE HOUSE OF FOUR SEASONS by ROGER DUVOISIN (2018.4.22) |
|
|